クリエイターと正しさ

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ですが、僕からすると「『エネルギーも時間もかける覚悟がある』ことと『批判や言い訳をする資格』に何の関係があるの?」とです。

(中略)

例えどんな怠け者にも、批判や言い訳をする資格はあるし、そしてその批判や言い訳の妥当性は、その批判や言い訳の内容によって決まることで、「それを主張していた人が力を振り絞っていたか」は何の関係もないことなのです。

 

これを見て、「誹謗中傷してる人って、何も生み出せないし何も努力してない」って話自分好きじゃないなーということを思い出しました。はてブにもちょっと書いたんですけど。

 

誹謗中傷を揶揄る漫画とかによくあるじゃないですか。「一生懸命頑張ってるアイドルとかに対し、ダサそうな見た目の人間がニヤニヤしながら書き込みしてる」みたいなやつ。

 

そういうのって、多分

・努力したクリエイターは決して他人を笑ったりしない

・努力したクリエイターの言うことは、一見嘲笑的であっても、理不尽な誹謗中傷とのそれとは異なるものだ

のどちらかが前提になってると思うんですよね。

 

まあここで「誹謗中傷してるクリエイターなんているし、的外れこと言ってるときもあるよね」……という事実を書いて終わってもいいんですが。

 

とはいえ、自分もクリエイターの後光効果に影響されてしまうことがあります。

 

有象無象のアカウントが言ってても「何言ってんだこいつ」ってなる言説でも、自分の好きなクリエイターが言ってると途端に「うっ……耳が痛い」となってしまいますし、それに対し「は? さっきのアカウントが言ってたやつと何ら変わりないやん」と思っても、「そうやってクリエイターに対してルサンチマン抱いてんだろ」という自分が出てきたりします。(ここでちょっと吐露しておきますと、自分は一つのゲームとかを4桁時間とかやりこんだことがありません。それ故に、どうしても一つのことに打ち込んだ人にコンプレックスがあるのです)

 

これに対する対策なんですが、ある言論人のファンが「その人をちゃんと好きになるためにアンチスレを見ている」ということを綴ったnoteを見たことがあるんですよね。なかなか刺激的だと思いました。

 

ただ、そうすると先述したルサンチマンにならないか不安なんですよね。有名だから嫌いになるという、逆後光効果みたいな。

 

結局、有名だから信じる、いや逆に信じない、みたいなのに惑わされずフラットに見るのはムズイなあと思いました。

 

ここからは僕の仮説……というか妄想レベルの話かもしれませんが、人間の生存戦略として、情報がないうちはとりあえず周りの評判で判断すべき、という回路があるんでしょうね。実際、昔は多くの場面で合理的だったでしょうし、今もある程度使える場面があるでしょう。

 

その回路のスイッチをどう切り替えるか、なんでしょうか。

 

おまけ

こういうのに関係あるかもしれないし関係ないかもしれない曲

 

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